東京ヒコーキのはじまり
戦後のベスパ
戦闘機のメーカーだったピアッジオ社が デビユーさせた飛行機体構造にも似た庶民の足、ベズパは誕生はヨーロッパ各地で目を見張る人気を得てやがて世界各地でノッダウン生産されました。映画「ローマの休日」でオードリーヘップバーンがベスパに乗るシーンは有名ですね。
1992年 (平成4年)オーナーがお店の PRマスコットにと入手したイタリア ピアッジオ社のスクーターベスパ50s(日本向けモデル)
機械好き、バイク 車好きのオーナーはそのルーツに凝り出したのです、ほどなく英国の専門雑誌を定期購読する中PRページからアンティーク、バイク修理パーツ屋さんを探してFAXでどうにかそのオーナーさん達と連絡を取り個人輸入したのです。
当時 東京 原宿でベスパ、ランブレッタ(イタリア・ベスパの競合)など早々期のマニアがメイデェイと称する集会を開いては走行と交流を楽しんでいたのです。当時の旧車は本国イタリアからの旧車流通ルートは少なくマレーシア、タイ、インドネシア、スリランカなど東南アジアからの車が多くオリジナルを欠くものも多い中 時期は日本でのベスパ流行の初期だったのです、マニアの皆さんはの中では ヨーロッパ、本国イタリア、ヨーロッパ生産こそ本物との風潮があって日本の若者達からファッションとしの人気も高まりつつあったのです。
その頃 在京中のオーナーの息子が 原宿付近のメイデェイというベスパ、ランブレッタの同好集会を見て「パーツのチラシつくって配ってみない」と、すぐさま300枚程を作って会場で配布、あっと言う間になくなったと。その時の名前を〈昭和ノスタルジー・東京ハイカラ・ベスパの飛行機のようなモノコックボディ〉から二人で思案「東京ヒコーキ」になったのです。すぐに東京ヒコーキ宛で問合せと、注文FAXが来ました。手持ちのパーツはすぐに底をつき慌てて現地お任せでダンボール詰めで空輸、販売・・それは 原宿メイディから関東、関西圏から宮城仙台、福島、各地に波及するには1年も掛かりませんでした。 その後 度々アンティーク家具、スクーター、旧車をコンテナで輸入 各地のマニア、バイクやさん、アンティークやさんへの供給元になっていたのでありました・・時、まさにバブル全盛期なのでした。 その後 オーナーの息子は英国に渡り 友人のアンティーク業のオーナーの元へ、、
今なお「東京ヒコーキ」をそのようにご存知のみなさんも多数おいでなのです。
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